私について、さらに。

【幼少期~思春期の私】

 二人姉弟の長女、親戚の中でも一番上の子ども、ということもあって、幼いころから“誰かからの期待”が活力源でもあり、悩みの種でもありました。娘の私から見ても聡明な、けれど時代の流れのなかで専業主婦を選択するほかなかった母からは、「あなたは男性社会の中でも活躍できるように手に職をつけなさい、勉強しなさい」と言われて育ちました。 「そうか、ほかの人よりも努力しないと、この社会では活躍できないのか」とうっすら感じていた私にとって、頑張ること、一番になることは存在価値を確認することでもありました。

 けれど、なにかが違う気がする…かみ合わない…そんなことを思春期から感じ、苦しさを抱えていたように思います。

 親の期待に応えるために入った法学部で一時は弁護士を夢見るものの、過去の判例をベースに理論を組み立てるアプローチや、決められたルール(法律)をひたすら覚え、それに則って判断することがどうしても性に合いませんでした。今思うと、4年半勉強していた最後の期間はメンタル疾患寸前だったように思います。

 司法試験に失敗したことがわかった夜、私は初めて父母と大きな喧嘩をしました。もう限界だった私は、「今まで親の期待にこたえたいと思って選択してきたけれど、いよいよ自分の道を自分の力で歩きたい」…と号泣しながら父に訴えました。母には「もう、お母さんの夢をかなえてあげることはできない」と謝りました。母はそんな私を「そんなふうに思わせていたことに気づかなくてごめんね。いつまでもお母さんはあなたを応援する」と抱きしめてくれました。ずっとずっと、母の期待にこたえなきゃ、と思っていたことが、その瞬間、過去のものとなりました。

【インターン時代】

 自分の道を歩く、と啖呵を切ったものの、サークルに入ったこともなければアルバイトの経験も片手で足りるくらいで、就職活動をするにもアピールできるものがなにもない…ぼーっと大学を歩いていると「インターンシップ説明会」という立て看板の文字が目に入りました。2001年当時はまだ珍しかった長期インターンシップとの出会いで、私の人生は大きく動き出しました。弁護士事務所での2週間インターンのあと、楽天株式会社でのインターンに挑戦することになったのです。

 実は楽天のインターン、最初は不合格でした。けれど、捨てる神あれば拾う神あり、募集をしていなかったぴーぷる部(人事部)で採用いただけることとなったのです。しかも、初めて「この人のようになりたい!」と憧れた先輩の元でお世話になることに。振り返ると、まるで“追っかけ”のように、その先輩の登壇するイベントに足を運び、最前列で仕事の内容や会社のミッションについて質問を浴びせていたので、ここで拾ってやらねば…と思ってくださったのだろうと思います(がむしゃらさが、少しだけ恥ずかしい…)。

 楽天でのインターンは毎日が刺激的で、楽しい日々でした。自分が何も知らない、現時点では役に立てない、だからこそ吸収できるものがたくさんある、ということに気づいた時期でもありました。チームを作ることの難しさ、周りの人を巻き込むことの大変さ、ともに何かを作り上げる喜び、うまくいかない苦しさや悔しさは、勉強机では感じられることのない感覚でした。気づけば1年半、大学院卒業時まで、インターンとして働かせていただきました。

【楽天時代】

 就職活動を経て、2003年、新卒正社員として楽天株式会社に入社し、楽天市場への新規出店の営業を行う営業開発部に配属されます。「全国の中小企業をインターネットでエンパワーメントする」という当時のミッションと、大学時代に親に隠れてハマっていたインターネットを使ったサービスは、私をとにかくわくわくさせました。

 でも…気合とは裏腹に、最初の3週間、まったく成績を上げることができず思い悩みました。見かねた先輩がくださったアドバイスは、「愛を語りすぎるな。ちゃんとお客様のお話を聞きなさい」ということでした。楽天のサービスが大好きだった私は、気づかないうちに一方的に話をしていて、お客様がなぜ関心を寄せてくださったのか、どういう夢をお持ちなのか、何に悩んでいらっしゃるのか、まったくお聞きしていなかったのです…。目からうろこが落ちた気分でした。翌日から、お客様のお話にひたすら耳を傾け、あいづちを打つように。「そんなビジネスもあるのか!」「こんな素敵なお店が眠っているなんて」とにかくお客様に様々なことを教えていただきました。気づけば最後の1週間で、営業目標の420%達成を実現、月が締まったあともお客様と電話でお話しするほど、営業の魅力にはまっていました。

 そのときの経験や学びから、“営業という仕事は、お客様の可能性を広げるもの”ととらえています。

 その後、インターン時代にお世話になった法務部に異動、新サービスのリーガルリスクの確認や契約書のチェック、株主総会の運営などに携わりました。プロフェッショナルとしてのキャリアを築きたい、と思っていましたし、先輩がたは本当に優秀で素晴らしい皆さんで、丁寧に指導してくださいました。でも同時に、先輩方のようにはなれないなぁ…とどこかで感じもしていました。どうやら私は守る仕事よりも、直接的に、進む仕事がしたい。作る仕事がしたい。社会をよりよくする仕事によりダイレクトにかかわりたい。そんなふうに思うようになっていました。

​【(株)ワーク・ライフバランス創業】

 「なんだかモヤモヤするなぁ」と思っていた私は、学生時代にお世話になった先輩に相談することにしました。彼女から帰化されたのは「ワーク・ライフバランス」という言葉とその本質でした。ワーク・ライフバランスという言葉に対して、ほどほどに働くことをイメージしていたのですが、全く逆でした。「ライフ」でのインプットを「ワーク」に活かし、相乗効果をもたらすもの、だったのです。衝撃が走りました。この考え方はいずれ日本を変えるに違いない!そう確信しました。

 当時の日本社会では「ワーク・ライフバランス」という言葉は受け入れられにくかったからこそ、やりがいがある。そんなふうに思い、2006年先輩と二人で株式会社ワーク・ライフバランスを創業しました。

 創業時から、「生産性向上」や「働き方改革」というキーワードで、企業などの組織改革を支援しています。